常設展案内
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| ■古代出雲の玉作り
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古代出雲は、古墳時代から奈良・平安時代を通じて、玉の一大生
産地だった。とくに奈良時代以降は、わが国で玉を生産したほとん
ど唯一の地域だった。その中心が、 良質の碧玉やめのうを産出する
花仙山の周辺である。古代人は、緑色の石を好んで玉の材料に用い
た。
花仙山の標高は約200メートル。宍道湖の南岸に位置し、玉湯町
と松江市にまたがっている。山麓には50カ所近い玉作りの集落が営
まれた。出雲地方の玉作り遺跡の大半がここに集中している。
この地域は玉作りとともに発展し、奈良時代には、「忌部神戸」
として特殊な行政区画が設定され、「みそぎの忌玉作る」場所とな
った。しかし、平安時代中ごろ、玉の需要の減少により、数百年に
及ぶ長い玉作りの歴史に終止符を打った。
花仙山周辺の多数の玉作り遺跡のうち、「出雲玉作跡」として3ヶ
所が国史跡に指定されている。
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| 花仙山 |
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| 花仙山 周辺の玉作り遺跡
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◆出雲玉作跡(宮垣地区、出雲玉作跡史跡公園)【国指定】
宮垣地区は、花仙山の西南の麓、玉湯川右岸の緩斜面にある。発
掘調査が昭和44年と46年、史跡公園整備の事前調査として実施され
た。
その結果古墳時代前期から平安時代にかかる30棟近い玉作り工房
が発見され、その中から、玉の原石、管玉・勾玉・丸玉などの半製
品、玉磨き砥石、穿孔用の鉄製ドリルなど数万点の玉作りに関する
資料が見つかった。
遺構や出土遺物から、玉作り工房が日常生活の場でもあったこと
、一つの工房で、荒割から仕上げに至るまで一貫生産が行われたこ
と、ドリルなど鉄製品の加工または修理が行なわれた可能性がある
ことなど、がわかった。
現在、宮垣地区は約2.8haの史跡公園に整備され、玉作り工房の
復元家屋、発掘したままの工房を露出展示した円すい形の覆屋、工
房の位置を示す台座、記加羅志神社跡古墳などが広い芝生の中に点
在している。
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| 出雲玉作史跡公園 |
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| 宮垣地区で発掘された玉作り工房 |
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| めのう勾玉と碧玉管玉の製作工程 |
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◆史跡出雲玉作跡(宮ノ上地区)【国指定史跡】
宮ノ上地区は、宮垣地区から約500mほど南側、玉湯川の右岸に
位置している。遺跡は、玉造要害山の西側の斜面と山すそに広がっ
ている。その中心に、『出雲国風土記』に「玉作湯社」と記され、
式内社でもある玉作湯神社が鎮座している。
宮ノ上地区での発掘調査は、昭和58年と59年の範囲確認調査が
最初。この調査で、花仙山周辺での玉作りが、弥生時代終末まで遡
ることが判明した。花仙山周辺の玉作り遺跡では、最古。ここに玉
の神、櫛明玉命(くしあかるだまのみこと)を祭る玉作湯神社があ
るのも故無きことではないかも知れない。
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◆蛇喰遺跡
宮垣地区に隣接する蛇喰遺跡では、平成5年度から範囲確認調査
が行われた。時代は、奈良時代の中ごろから平安時代の初期。緑釉
陶器、円面硯(えんめんすずり)などの遺物、掘立て柱の遺構などと
ともに500点を越えるヘラ書き土器が大量に発見された。
「由」、「林」、「白田(原)」など地名を思わせる文字が多い。
玉の貢納を司る役所があったと推定される。
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蛇喰遺跡出土のヘラ書き土器(須恵器)
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