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玉造要害山城は、玉作湯神社の裏山にあります。標高は108m、こんも
りした小さな独立峰です。山陰道への分岐点にも近く、西ろくを出雲奥地
を結ぶ仁多街道が通過し、北ろくを新宮湯峠を経て、松江市の忌部へぬけ
る道が通過していました。
要害山城は、山城に分類されます。山全体が城として機能するように加
工されています。山腹には多数の平坦地・郭(くるわ)が見られます。郭
は、物資や人員の集合する場所にも生活の場所にもなりました。このほか
身を隠し敵を防ぐための土塁どるい、見張りのための櫓台(やぐらだい)、
尾根伝いに侵入してくる敵を防ぐための堀切り(空堀)。敵が横に移動す
るのを難しくするたて堀、土塁を食い違わせて、敵の攻撃を防ぎやすくし
た入り口(食い違い虎口)も玉造要害山城に残っています。頂上のすぐ下
には飲み水を確保した井戸の跡もあり、小さいながらも山城としての体裁
が整っています。
中世(鎌倉時代〜室町時代)には、この地域は「湯郷」と呼ばれ、ここ
を本拠にした領主は「湯氏」を名乗っていました。代々の湯氏が要害山城
を使ったと考えられます。
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