◆川湯出湯跡(かわべのいでゆあと)
『出雲国風土記』に玉造温泉の様子が詳しく記されています。それによ
ると「川辺に湯がわき、老若男女でにぎわっている。お湯につかれば美男
美女になり、病気も治り、人々は神の湯とよんでいる」とあります。
この「川辺出湯」は、湯薬師堂前の玉湯川の川原にあったと考えられま
す。近年まで石囲いの露天風呂がありました。今は、下流で温泉を掘った
ため、わいていません。
◆元湯跡 (もとゆあと)
江戸時代に玉湯川の東岸に掘られた泉源。新湯ができるまでは、江戸時
代唯一の泉源でした。「元湯」は地下で「川辺出湯」とつながっており、
「元湯」の湯量を確保するため、川への湧出は粘土などでふさいでありま
した。
元湯は湯薬師堂の裏手にありましたが、今は県道がその上を通過してい
ます。歩道にはめ込まれた銅版でその位置を知ることができます。
◆お茶屋跡
お茶屋は玉作湯神社の西北下に位置しています。藩主の別荘で湯治や静
養の場として度々利用されました。建物は、大正時代に取り壊されました
が、敷地の一部がそのまま残されています。江戸時代後期の絵図によると
殿様の別荘としては質素な建物であったようです。
玉作湯神社に残されている『上御入湯日記留』などにより、1800(寛
政12)年以降の藩主入湯の様子を知ることができます。藩主は、短い時
で6日間、長い時には21日間もお茶屋に滞在しています。
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川辺の出湯(明治42年、右下に露天風呂)
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明治中期の元湯付近。湯薬師堂の前に元湯が描かれているが、実際は右後ろにあった。
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| お茶屋(宿割図の一部) |
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